こちらは宮沢賢治と東京観光案内サイトです。『よりみちノート』にまとめて紹介します。
▶2020/12/19「【まとめ】賢治の東京における足跡」追加
▶2020/12/8「賢治風味0.1%で大船観音寺に行ってみた」追加
◆賢治東京10選◆ 2018-2019(平成末〜令和元年)
よりみちノートに賢治さんの足跡がある地域をセレクト。
旬の東京エリアと賢治さんが憧れたモダン東京がリンクする地域です。
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1. 駒込〜巣鴨
賢治さん初東京、修学旅行です。その後、恩師が住んでいた場所。巣鴨は宮沢家が物件を持っていたそう。
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2. 神保町〜御茶ノ水
東京で学生生活を満喫した思い出の場所であり、雨ニモマケズにつながる絶望の地。当時の東京駅的場所。
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3. 日本橋
賢治さんの東京における心理的な拠点。もしものときにはいつだって小林六五郎さんがいた。
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4. 銀座
アイス食べたり演劇見たり。銀座を満喫していた賢治さん。今、岩手県のアンテナショップがある御縁。
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5. 吉祥寺〜三鷹
最後の上京。東京に着くなり床に伏したかと思いきや、直前に吉祥寺に訪問していた賢治さん。なにしに?
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6. 池袋〜雑司ヶ谷
良家子女の学び舎の雰囲気と、近くに男子の学校があるコントラストが感じられる面白いエリア。
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7. 蔵前
雰囲気は残っていないけれど、ずばりの場所に「宮城館」の名前のビルがありました。豪雨の探検。
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8. 本郷三丁目〜後楽園
岩手県人の居宅跡が隣接の本郷。路地と段差で迷路のような雰囲気は今も健在。居宅はない…。
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9. 渋谷〜代々木上原
修学旅行で駒場東大に行った時、当時は渋谷駅から徒歩だった。松濤の茶畑を歩いたのかな?
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10. 代々木上原
1916修学旅行で訪れた駒場東大から明治神宮に向かうルート。代々木八幡が歴史的にも見所が多くて寄り道。
◆10選以外の賢治東京◆ 2018-2019(平成末〜)
よりみちノートに賢治さんの足跡がある地域をセレクト。
ずばりの足跡の他、行ってみたらばなんとなーく関係していた場所も。
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1. 千駄ヶ谷〜青山
雨ニモマケズが書かれた11/3という日。この日の意味を知るために明治天皇について知る必要があります。
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2. 恵比寿〜九段その1
「大使館の桜」が気になり現フランス大使館に行くと旧大使館の場所は九段南であり、桜も無いことが……
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3. 恵比寿〜九段その2
場所を九段エリアに移動し、桜の季節の英国大使館と、旧フランス大使館の場所を訪ねました。
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4. 新川
旧霊巌島。ここから大島行きの汽車が発着していた。宮沢賢治、渋沢栄一、霊巌上人、気になるワード多くハマる。
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5. 賢治上京の時の列車
1931年。花巻から上京する足取りを検証、SLには種類があることを知りました。どのSLに乗ったんでしょうか?
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6. 千鳥町
チェロを東京都大田区在住だった大津三郎に3日間習いに行っています。
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7. 千駄木~日暮里
高村光太郎が住んでいた千駄木に、夕焼けだんだんと谷中商店街を楽しみつつ行ってきました。
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8. 【まとめ】
約2年の間に『賢治の東京における足跡』で行った場所とまだ行っていない場所を一旦整理してみようと思います。
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9. 旧上野図書館
1921年(大正10年)1月~8月。賢治さん、家出して東京に住んでました。
◆賢治以外の東京◆ 2018-2019(平成末〜)
よりみちノートで、賢治さん以外に関係ないけど面白そうなので行ってみた東京。
賢治さんのことはおいておいても、ナギノは東京が好きなのです。
◆東京以外のノート◆ 2018-2019(平成末〜)
よりみちノートで東京以外のエリア。
賢治さんに関係あるのもあれば無いのもある。いわゆる「その他」。
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1. 川崎市/幸区
令和時代、ナギノが住みやすい街No.1だと思っている。そして、賢治と惣之助についてここから調べてみる。
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2. 鎌倉/長谷
長谷の光則寺には「雨ニモマケズ」の詩碑がある。
「なんでだろー?」と思ったら行ってみる。 -
3. 鎌倉/鶴岡八幡宮
鎌倉観光の王道。混んでいて当たり前。なぜかって?それは季節毎に面白いことがあるからなのです。
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4. 京都駅西
京都鉄道博物館に賢治が上京する時に乗ったSLと同型の車両が保管されています。
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5. 横須賀女子旅
にゃんつるドットコムで、コンダクターとして横須賀女子旅を企画しました。
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6. 鎌倉/七里ガ浜
鴨が美味しいお店に食べに行こうとしたら、日蓮伝説がロケーションでした。
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7. 鎌倉/二階堂
鎌倉に平泉があるらしいので行ってみました。鎌倉幕府も通ります。
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8. 鎌倉/御成町
鎌倉駅江ノ電乗り場側。駅至近、通り過ぎてしまう路地が面白いのです。
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9. 大船
駅から気になる存在に迫ってきました。
◆ナギノートのこと◆
2018年夏、突然交通事故に遭い(事故というのは突然なものですが…)数カ所通院しては待ち時間で一日のほとんどが消費されていく生活になりました。
そんな中、待合室にあったOZマガジン。記事の中で「よりみちノート」という白地図のノートの存在を知ります。amazonで早速買ってみたところ、最初に思った印象は「随分と賢治が行ってた場所とかぶってるもんだなぁ」。
もう10年以上も前になりますが、岩手県南部にある「石と賢治のミュージアム」で学芸員をしていました。宮澤賢治(宮沢賢治)さんの研究です。賢治さんの上京回数は9回。37年の生涯であり、当時の「花巻-東京」は一日がけでの移動になることを考えると「たびたびの上京」です。
私の研究対象は、最後の9回目の上京である1931年についてでしたが、必然的にその前の上京についても知ることになり、常に「何しに東京に行ったんだろう?」「そんなに東京に行きたいんだ!」「いやいや、そんなに東京が好きなら、住めば良いじゃないですか;」……と、思っていました。
賢治さんには賢治さんの住めない事情や葛藤があるわけですが……今思えば、賢治の東京への憧れ…呪いのようなもの、にさらされていた研究生活でした。
そして、私は今、縁あって岩手を出てきてこっちに住んでいます。白地図を眺めながら「わざわざ東京に来て行ってた場所なんだから、何かがあるのだろう。何か面白いものが今でもあるんじゃないか? OZ押しの観光マップとかぶってるわけだし……」と思うようになったのです。そこで、病院と病院の間の時間、3時間程度。
時間を縫ってはちょろりちょろりと東京に尋ね歩くことにしました。最初は白地図に賢治さんの行った場所を書き込み、ちょうど「雨ニモマケズ切手」が10枚あったので、現地の風景印でも押して来ようかと支度。それから出発しました。このサイトはそのお出掛け記録です。賢治さんご縁の場所と共に、私自身が惹かれた東京の場所の記録も入っています。
「東京面白いところ探し」の参考になれば幸いです。私も東京が大好きです。